日本で知られるようになったのは、シュレーディンガーのnegative entropy(負のエントロピー 岡、鎮目訳)からであろう。negentropyとして記したのはブリルアン(⇔ブリュアン)であるが、こちらは取上げられかたが少ない。(ブリルアンゾーンなるものもあるらしい。著書に、ブルーバックス『相対性理論の再検討』だかもある、、挑戦的、、。)日本ではネガティヴ・エントロピーとあった場合、独自に勝手にネゲントロピーとか略して語っちゃう場合も、ブリルアン以前からあったかもしれない。英語圏ドイツ語圏においても、ブリルアン以前に、negentropyを用いた例も、あるいはあるやもしれぬ、、。シュレーディンガーはボルツマンが使っていた用語から取った、と記しているようである。「負のエントロピー」と訳されることが多かった。だが本質的には、「エントロピーの増大の極大側状態(⇔いわば便所側、杉田元宜。⇔熱の墓場側。⇔終状態側。)から見上げたエントロピー未終帳尻差であり非負値」 というのが、歴代の提唱者の述べたがっていた意図文意であろう。(佐藤正隆(たぶん1979))こう捉えれば概念的には、ギブス、ボルツマン以来のもののようである。(赤池弘次(19、、) 松縄規(1984)、渡辺慧(1986)などより)(概念はクラウジウスのNあるいはカルノーにさえもあったのかも知れぬ、、。 エクセルギーとしてならばベルヌーイだかにも?)赤池弘次は、シャノン流エントロピーとの混同を戒めている。単に「負のエントロピー」と訳すと、シャノンエントロピーと同型のように見え、混同同一視される混乱があった。初めと終わり(槌田敦)二状態それぞれのエントロピーの、基準側終状態側から見上げた差なので、一状態だけが与えられても決まらず、状態量ではない。このあたりの扱いに、違和感、不慣れな感じが、ことに物理学者には多かったのではなかろうか?ある意味近親量である エクセルギーへの物理学者からのアプローチを少なくさせていた面があろう。また、理論物理学者が血道をあげて関心注意資源を一斉に振り向けたがった研究領域が「高エネルギー」領域であったことも、環境との乖離具合であるエクセルギーを慮外に置く方法で、精度的に充分とされてきた為もあろう。ある意味と書いたが、たぶん工学的には、ギュイ‐ストドラの式として、有効(可利用)エネルギーとエントロピー始至終帳尻量の等値式が、ジュグエによって定式化されていた。この延長として、available energy やら エクセルギーやらの呼称が誕生してきているとみられている。概念はすでにあり、あとはどう呼ぶか。だが、その基礎は、、基準をどう取るかは、いまだに詰めの協議の余地のある問題なかもしれない。(後藤英一,天野力,阿部龍蔵 http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/fec9a6c33442c112b049a8b0a4854c81 )高橋秀俊がネゲントロピーの課題として挙げている一つも、この基準の問題であった。http://raycy.seesaa.net/article/11438154.htmlその基準の案のひとつが佐藤正隆の提案であるネゲントロピーおよびKLネゲントロピーである。後藤らの提案も、基準案ともいえそうだ。
「ネゲントロピー」の説明
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