三國

 

三國 ( みくに )     三國についてまとめて読む

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2009年10月21日 23:24:59
2010年01月9日 22:38:15
  • 真・三國無双 - キャラbot - 真・三國無双 記事2を表示記事2を非表示 2010-01-09 22:38 記事の概要:
    魏 キャラ名 ID 作品名 リプライ 備考 曹丕子桓 ms_souhi_bot 真・三國無双 ○ 占い、褒美 夏侯惇 kakoton_bot 真・三國無双 ○ 司馬
2010年01月19日 13:06:18
2009年05月24日 17:15:37
2009年05月24日 17:35:39

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菊池君 - 石川 啄木
  • ...私は、小い時に讀んだ三國史中の人物を、それか、これかと、此菊池君に當嵌(あては)めようとしたが、不圖、「馬賊の首領に恁※(こんな)男は居ないだらうか。」と云ふ氣がした。  馬賊……滿州……と云ふ考へは、直ぐ「遠い」と云ふ感じを起した。ト、女中が不意に襖を開けて、アノ鬚面が初めて現れた時は、菊池は何處か遠い所から來たのぢや無かつたらうかと思はれる。考が直ぐ移る。  昨晩(ゆうべ)の座敷の樣子が、再(また)鮮かに私の目に浮んだ。然うだ、菊池君の住んで居る世界と、私達の住んで居る世界との間には、餘程の間隔がある。「ウワッハハ。」と笑つたり、「私もそれなら至極同感ですな。」と云つたり、立つて盃を持...
赤痢 - 石川 啄木
  • ...端れ近くなつた邊で、三國屋といふ木賃宿の招牌(かんばん)を見附けた時は、渠には既う、現世に何の希望も無かつた。  翌朝目を覺ました時は、合宿を頼まれた二人――六十位の、頭の禿げた、鼻の赤い、不安な眼附をした老爺と其娘だといふ二十四五の、旅疲勞(たびつかれ)の故(せゐ)か張合のない淋しい顏の、其癖何處か小意氣に見える女。(何處から來て何處へ行くのか知らないが、路銀の補助(たし)に賣つて歩くといふ安筆を、松太郎も勸められて一本買つた。)――その二人は既(も)う發(た)つて了つて穢ない室の、補布(つぎ)だらけな五六の蚊帳の隅つこに、脚を一本蚊帳の外に投出して、仰(あふの)けに臥てゐた。と、渠は、前...
思ひ出 抒情小曲集 - 北原 白秋
  • ...革命小説、經國美談、三國志、西遊記等の珍書は羅曼的な兒童の燃えたつ憧憬の情を嗾かして遂にはかの嚴格なる禁斷を犯かさしむるに到つた。  私はよく葡萄棚の下に緑いろの日の光を浴びながら新らしい紙の匂ひに親しみ、赤い柿の實の反射にぼやけた草艸紙の平假名を拾つては百舌(もず)の啼く音(ね)をきき耽つた。私は本のひとつひとつの匂ひや色や手觸の異なる毎にそれぞれ特殊なある感覺の悲しみを嗅ぎわけた。私は梨の木に上つて果實の甘い液にナイフの刄(は)をつける時も、ゐもりの赤い腹を恐れて芝くさのほめきに身をひたす時も、赤(あか)ん谷の婆(母の乳母で髪の白いなつかしい老婆だつた)のところに山桃(やんもも)採りにゆ...
元時代の蒙古人 - 桑原 隲蔵
  • ...子江以南の者が多い。三國志などを見ても分りますが、赤壁の戰で魏の曹操が八十萬の兵を率ゐ、呉の周瑜が三萬を率ゐたとか云ふ大きな戰爭ですが、其當時天下第一の智者と言はれた魏の曹操でももともと北方の人ですから水上となると閉口する。揚子江は廣い所は二マイルもあるといふが、何しろ内地を流れて居る河ですから高が知れて居る。それに魏の曹操の軍勢は船へ乘つても船がぐらつくというて怖がつて、とうとう連艦の計とかいふ支那人相當の考を出し、小さい船の澤山あるやつを、此船も此船も鎖で繋ぎつけました。成程船は小さいけれども、皆鎖で繋いであると、大きな船になりますから、所謂大船に乘つた氣で安心して乘りましたが(笑聲起る)...
支那史上の偉人(孔子と孔明) - 桑原 隲蔵
  • ...望夏口と記して居る。三國時代の赤壁なら、西望夏口でなく、東望夏口でなくてはならぬ。東坡が歴史地理に暗くして誤を傳へて以來、黄岡縣の赤壁が普通に古戰場として認めらるる樣になつた。さてこの赤壁の戰に曹操が失敗して、南支那併合の機を失すると共に、孫權は揚子江中流以下の南支那を占領し、劉備はやや後くれて、建安十九年(西暦二一四)に江を溯りて巴蜀をとり、かくて天下が三分して、魏・蜀・呉三國鼎立の姿となつた。  劉備は蜀を占領して國を建てたが、その整理がつかぬ中に、西暦二百二十三年に世を辭し、十七歳の劉禪がその後を承けた。劉禪は年も弱(わか)し、質も凡庸であつたから、劉備の遺命を受け、後事を託された、孔...


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