延享

 

延享 ( えんきょう )     延享についてまとめて読む

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2009年12月23日 13:00:00
2010年01月25日 20:40:00

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忠義 - 芥川 竜之介
  • ...て、門を出た。  延享(えんきょう)四年三月の末である。門の外では、生暖(なまあたたか)い風が、桜の花と砂埃(すなほこり)とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。      二 田中宇左衛門  林右衛門(りんえもん)の立ち退(の)いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人(めのと)をしていた関係上、修理(しゅり)を見る眼が、自(おのずか)らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上(ぎゃくじょう)をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較...
大阪の町人学者富永仲基 - 内藤 湖南
  • ...語」が出來ましたのが延享元年甲子の年で、丁度百六十年に當ります。それに大阪生れで有名な慈雲尊者がなくなつてから百年に當つて居るので、私共二三の同志の者が、一つ富永の墓を弔つてやらうぢやないかといふことで、その西照寺で小さい會を致しまして、富永仲基と葛城慈雲、この二人を偲ぶために、その著書などを列べたことがあります。慈雲尊者は日本の梵學研究に大なる功績を遺し、又佛教にも一種の創見を有して居り、富永と行方は違ふが天才と云ふべき人で、私が聊かでも佛教に關する正しい知見をもつて居るのは此人の御蔭です。此時に初めて富永一家の墓を見ましたが、惜しいことには富永仲基本人の墓は已にありませぬ。祖父祖母の墓、兩...
傾城買虎之巻 - 直木 三十五
  • ...この瀬川の話なども、延享から宝暦へかけての、江戸時代でも一番退屈であった盛りの時に、欠伸除(あくびよ)けに造られたものらしい。  「翁草」にこの瀬川の仇討を、通信文で尤(もっと)もらしく書いているが、この文の出所というものが全然不明で調べるによしが無い。と云ってこの外に記録は無いから、※(うそ)ともいえぬが、本当とも云えぬ。後段の、 「江戸なる哉(かな)、江戸なる哉、天明三年吉原松葉屋今の瀬川を千五百両にて身請せし大尽あり、諸侯の類(たぐい)かと聞くに不然(しからず)、尋常の町家なりとぞ」  位は信じられるが、とにかく※八百の瓦版が出たり、役所の報告に出鱈目を云ってきたりした時分...
大菩薩峠 34 白雲の巻 - 中里 介山
  • ...、有徳院様お代替りの延享四年十月十五日のことでございました。  御承知の通り、国主大名が殿中に於て非業(ひごう)の死を遂げた場合には、家名断絶は柳営(りゅうえい)の規則でございますから、伊達公のお通りがかりが無ければ、細川家は当然断絶すべき場合でございました。そこで、細川家が再生の恩を以て伊達家を徳とすることは申すまでもございません――その時に、細川家で家老たちが相談をして、文禄朝鮮征伐の時の王羲之の孝経の半分を持ち出し、いささか恩義に酬ゆるの礼として、これを伊達家に御寄贈になりました。これで細川家五十五万石が救われ、王羲之の孝経は完全な一巻となって、伊達家に秘蔵される運命になったのだそうで...


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