口語

 

口語 ( こうご )     口語についてまとめて読む

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2009年10月31日 03:40:00
  • メニュー - 聖書ヘブライ語 小辞典 - メニュー 記事1を表示記事1を非表示 2009-10-31 03:40 記事の概要:
    ヘブライ語H1H2H3H133H136H183H193H352H410H430H433H776H853H1933H1961H3050H3068H3069H7225H8064リンク集日本語聖書(新共同訳、口語訳、新改訳)が読めます原典をインターリニア+コンコルダンスで(ISA)[PR] フコイダン カシス 美容室Edit Menu
2009年05月29日 13:42:01
2010年01月15日 11:56:11
2010年01月15日 12:01:07
2009年11月14日 10:09:00

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さまよえる猶太人 - 芥川 竜之介
  • ...所を、そのまま当時の口語で書き留めて置いた簡単な覚え書だと云う事を書いてさえ置けば十分である。  この覚え書によると、「さまよえる猶太人」は、平戸(ひらど)から九州の本土へ渡る船の中で、フランシス・ザヴィエルと邂逅(かいこう)した。その時、ザヴィエルは、「シメオン伊留満(いるまん)一人を御伴(おとも)に召され」ていたが、そのシメオンの口から、当時の容子(ようす)が信徒の間へ伝えられ、それがまた次第に諸方へひろまって、ついには何十年か後に、この記録の筆者の耳へもはいるような事になったのである。もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人(しょうにん)さまよえるゆだやびとと問答の事」は、当時...
病中雑記 - 芥川 竜之介
  • ...らんが為にあらず。唯口語を用ふるよりも数等|手数(てすう)のかからざるが為なり。こは恐らくは僕の受けたる旧式教育の祟(たた)りなるべし。僕は十年来口語文を作り、一日十枚を越えたることは(一枚二十行二十字詰め)僅かに二三度を数ふるのみ。然れども文語文を作らしめば、一日二十枚なるも難しとせず。「病中雑記」の文語文なるも僕にありてはやむを得ざるなり。  九 僕の体(からだ)は元来甚だ丈夫ならざれども、殊にこの三四年来は一層|脆弱(ぜいじやく)に傾けるが如し。その原因の一つは明らかに巻煙草を無暗(むやみ)に吸ふことなり。僕の自治寮(じちれう)にありし頃、同室の藤野滋(ふぢのしげる)君、屡(しばし...
風変りな作品に就いて - 芥川 竜之介
  • ...徒の手になつた当時の口語訳平家物語にならつたものであり、「きりしとほろ上人伝」の方は、伊曾保(いそぼ)物語に倣(なら)つたものである。倣つたといつても、原文のやうに甘(うま)くは書けなかつた。あの簡古素朴(かんこそぼく)な気持が出なかつた。 「奉教人の死」の方は、日本の聖教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である。「きりしとほろ上人伝」の方は、セント・クリストフの伝記を材料に取入れて作つたものである。  書き上げてから、読み返して見て、出来不出来から云へば、「きりしとほろ上人伝」の方が、いいと思ふ。 「奉教人の死」を発表した時には面白い話があつた。あれを発表したところ、...
文芸的な、余りに文芸的な - 芥川 竜之介
  • ...よれば、僕等の散文は口語文であるから、しやべるやうに書けと云ふことである。これは或は佐藤氏自身は不用意の裡(うち)に言つたことかも知れない。しかしこの言葉は或問題を、――「文章の口語化」と云ふ問題を含んでゐる。近代の散文は恐らくは「しやべるやうに」の道を踏んで来たのであらう。僕はその著しい例に(近くは)武者小路実篤、宇野浩二、佐藤春夫等の諸氏の散文を数へたいものである。志賀直哉氏も亦この例に洩れない。しかし僕等の「しやべりかた」が、紅毛人の「しやべりかた」は暫く問はず、隣国たる支那人の「しやべりかた」よりも音楽的でないことも事実である。僕は「しやべるやうに書きたい」願ひも勿論持つてゐないもので...
一利己主義者と友人との対話 - 石川 啄木
  • ...ゆる)古い言葉と今の口語と比べてみても解る。正確に違って来たのは、「なり」「なりけり」と「だ」「である」だけだ。それもまだまだ文章の上では併用されている。音文字(おんもじ)が採用されて、それで現すに不便な言葉がみんな淘汰(とうた)される時が来なくちゃ歌は死なない。 B 気長い事を言うなあ。君は元来|性急(せっかち)な男だったがなあ。 A あまり性急だったお蔭(かげ)で気長になったのだ。 B 悟ったね。 A 絶望したのだ。 B しかしとにかく今の我々の言葉が五とか七とかいう調子を失ってるのは事実じゃないか。 A 「いかにさびしき夜なるぞや」「なんてさびしい晩だろう」どっちも七五調じゃ...


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