後漢書

 

後漢書 ( ごかんじょ )     後漢書についてまとめて読む

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「後漢書」を含むウィキ

2009年11月20日 12:50:00
  • 182年 - 「三国志」 @Wiki - 182年 記事1を表示記事1を非表示 2009-11-20 12:50 記事の概要:
    吾:主な事件春正月辛未 天下に大赦を下す《後漢書孝霊帝紀》二月 大疫《後漢書孝霊帝紀》三月 司徒の陳耽が免ぜられた《後漢書孝霊帝紀》夏四月 旱魃《後漢書孝霊帝紀》太常の袁隗を司徒と為す《後漢書孝霊帝紀》五月
2010年01月20日 13:06:16
  • 193年 - 「三国志」 @Wiki - 193年 記事2を表示記事2を非表示 2010-01-20 13:06 記事の概要:
    他の要職太常:→趙温→光禄勳:→衛尉:→張喜→太僕:→朱儁→廷尉:→大鴻臚:→宗正:→大司農:→少府:→大将軍:驃騎将軍:車騎将軍:衛将軍:主な事件初平四年春正月甲寅朔、日食有り《後漢書孝献帝紀》丁卯、天下
2009年11月20日 12:30:02
  • 189年 - 「三国志」 @Wiki - 189年 記事3を表示記事3を非表示 2009-11-20 12:30 記事の概要:
    軍皇甫嵩が陳倉において王國を大いに破る《後漢書孝霊帝紀》三月、幽州牧の劉虞は漁陽の賊張純を説き伏せ斬った《後漢書孝霊帝紀》下軍校尉の鮑鴻が獄に下され死ぬ《後漢書孝霊帝紀》夏四月丙午朔、日食有り《後漢書孝霊帝紀》四月、太尉の馬日[石単]が免
2009年11月20日 12:45:00
  • 178年 - 「三国志」 @Wiki - 178年 記事4を表示記事4を非表示 2009-11-20 12:45 記事の概要:
    郡で烏滸蛮が叛き、日南郡、九真郡の人民を招き入れ郡県を攻伐した。規模は数万人。光和四年まで続いた。《後漢書孝霊帝紀・後漢書南蠻西南夷列伝》正月、太尉の孟[有或]が罷めた《後漢書孝霊帝紀》二月辛亥朔、日食があった《後漢書
2009年11月16日 12:35:01
  • 177年 - 「三国志」 @Wiki - 177年 記事5を表示記事5を非表示 2009-11-16 12:35 記事の概要:
    勳:→ 衛尉:→陳球→太僕:→ 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍: 驃騎将軍: 車騎将軍: 衛将軍: 主な事件春正月辛丑 天下に大赦す《後漢書孝霊帝紀》二月 南宮の平城門(洛陽

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日本書と日本紀と - 折口 信夫
  • ...あるが、残る一部は「後漢書」の名で記されて居るけれど、其が果して、今の後漢書を斥(サ)すものともきまらない。「東観漢紀」を示すのではないかと言ふ疑ひは、先哲以来宿題である。 唐にも「東観漢紀」が重んぜられてゐた為、其学風を移した奈良朝及び、平安初期に所謂三史の包含する所は、察せられさうである。 吉備真備将来の三史五経なるものが、筆拍子に乗らなかつた書き方だとしたら、「日本国見在書目録」に「吉備大臣撰(?)来するところなり」と註した東観紀を、三史の一つと見る事も出来る。又、東大寺に此書の伝本があつたと言ふ所から見ても、わが国に古く行はれた三史の後漢書が、単に普通の後漢書と一つ物だときめてゐる...
爾雅の新研究 - 内藤 湖南
  • ...南時則篇注引周禮、及後漢書注引爾雅、亦倶作龍、郭引作※者、欲明此※與彼龍二者相當、因改龍爲※、非周禮舊文也、といつて居る。この龍も易に最も屡々用ゐられる龍の字の解釋で、説卦傳では震爲龍とある龍のことであるかも知れない。これらから考へてみると、易の説卦傳と爾雅の釋畜篇とは關係があつて、易が經書として認められる頃の時期が、即ち爾雅の編纂の完成せられる頃であつたらうといふことになるのである。若しそれが漢の初め頃とすれば、即ち易の方では田何、爾雅の方では沛郡の梁文の頃となり得るのである。  以上述べた所を總括すると、爾雅の中でも釋詁篇は七十子を距ること遠からざる時代、若しくは七十子の末年に出來、...
尚書稽疑 - 内藤 湖南
  • ...いつたならば、孔子以後漢書藝文志までを幾らかの時代並に門派に大別することを得、それによつて其間に起つた六藝傳記などの發展の次第を考ふる事が出來ようと思ふ。勿論これはどちらかといへば前の時代から順次に發展を考ふるよりも、逆に後から溯つて考ふる方が便宜である。例へば劉向劉※の時代を中心として、此人々の書いた書によつて其以前に入るべき者を詮衡し、其前に在りては史記などの出來た時代を標準として其以前の書を詮衡し、更に呂氏春秋や淮南子の如き雜家の書の出來た時代を標準として其以前の書を詮衡し、斯の如く漸次順を追うて思想の徑路を尋ねて行けば、其以前のことも段々之れによつて跡をつけて行き得る事と思ふ。  此...
卑弥呼考 - 内藤 湖南
  • ...藤湖南  後漢書、三國志、晉書、北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。今余が考ふる所は此の二者に異なる者あれば試みに左の序次により、其の所見を下に述べんとす。 一、本文の撰擇 二、本文の記事に關する我邦最舊の見解 三、舊説に對する異論 四、本文の考證 五、結論        一、本文の撰擇  卑彌呼の記事を載せたる支那史書の中、晉書、北史の如きは、固より後漢書、三國志に據りたること疑なければ、...
平安朝時代の漢文学 - 内藤 湖南
  • ...傳道では史記、漢書、後漢書を研究し、この方は史學であると共に文學であつた。明法道とは法律學で音道とは字音學であるが、此の音道は支那へ遣唐使留學生を派遣するために必要であつたのである。  當時日本固有の文化と云ふものは未ださう進歩して居らなかつたからして、從て日本固有の學問と云ふものも無く、大學の學生は初めから支那の學問をしたのであつて、今日の支那人でも感心する樣な立派な漢文を既にその頃の日本人が書いて居るが、今日我々に此れ程の漢文を書けと云はれても書けない。それは生れるから直ぐ支那の學問をすると云ふ樣な境遇に居らないからであつて、恐らく西洋の文學をやる人でも、此點は同じで、王朝の漢文と同程度...


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